※専用※2点(掛軸 澤梁堂 販売 「弄花香満衣」)(中村能休 竹の図 茶碗)

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2点1. 中村能休 竹の図 茶碗2.掛軸 澤梁堂 「弄花香満衣」 〔商品について〕こちらの商品は〔肉筆〕の作品です。サイズ 30.6 × 176.3 cm(軸先含まず)本紙 : 紙本軸先 : 黒塗り付属 : 共箱備考 : 〔作者について〕澤梁堂 さわ りょうどう昭和18年 兵庫県出石郡に生まれる。昭和40年 岐阜美濃加茂市の伊深正眼寺僧堂梶原逸外老師について修行。昭和53年 慈眼寺住職になり現在に至る。大非山 慈眼寺・・・ 臨済宗大徳寺派、兵庫県伊豆郡に所在。山号は大非山。寛永3年慈眼庵を改めて寺となし、普光国師澤庵大和尚を講じて開山となる。沢庵和尚の山号書所蔵す。〔状態について〕非常に状態が良く、使用感はほとんどありません。未使用品と思えるほどにきれいな状態です。〔語句について〕「弄花香満衣」(はなろうずれば かおりころもにみつ)唐の于良史「春山夜月(しゅんざんやげつ)」という詩の一節掬水月在手 弄花香満衣水を手に掬えば月が手の中に映り、花を弄べばその香りが衣に満ちるほどに移っているという意味。禅語としては様々な解釈ができるかと思います。朱に交われば赤くなると同じ意味にたとえられ、転じて、人もよい友、よい環境の中に身を置いていれば、いつの間にか影響されてよくなっていくから、つとめて、よき師、よき友、よき教え、よき環境に身を置けとの意味を表わすそうです。他にも水を手で掬えば、その自分が水になりきって月影を映している、花をもてあそんでいると、その自分が花と一つになって全身良い香りを放っているという風に、 無心になれば花が我であり、我が花となって、あたり一杯に麗しい香りを放つ境界に至るという解釈等。あるいは、水を掬うという行動があるからこその手の中に月が写り、花を弄ぶからこそその香りが衣に移る、つまり行動をおこしなさい。という意味でも解釈できます。多種多様な感じ方で様々な解釈ができる素敵な言葉です。季節としては、春が最適な季節となります。綺麗な花が咲き始める4月5月頃のご使用が良いと思います。〔注意事項〕タイトルに新品の記載がない商品につきましては、基本的に品となります。ご理解の上ご購入下さいますよう宜しくお願い致します。商品の情報カテゴリー : おもちゃ・ホビー・グッズ > 美術品 > 書商品の状態 : 未使用に近い発送元の地域 : 島根県

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